貧困撲滅のための国際デーと心理学には、どのような関係があるのでしょうか
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日本では、365日すべての日に何らかの記念日が制定されています。10月21日は「早稲田大学開校記念日」です。これは、1882年10月21日に政治家の大隈重信が、早稲田大学の前身である東京専門学校を東京・牛込に設立したことに由来します。同校は1902年に早稲田大学と改称し、1920年2月5日には大学令に基づく大学となりました。これにより、早稲田大学は慶應義塾大学とともに日本で最初の私立大学となったのです。
この日は早稲田大学の創立記念日でもあり、同大学ではこの日を中心に、歴史展示やフォトコンテスト、応援部によるアニバーサリーステージなどのイベントが開催されています。早稲田大学は現在、東京都新宿区戸塚町に本部を置き、「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を建学の理念として掲げています。
創設者の大隈重信が明治を代表する政治家であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されたことから、政治経済学部を中心に政界・財界へ多くの逸材を輩出しています。さらに、研究・法曹・文学・理工学のほか、出版・新聞などの分野でも、国内外を問わず多くの卒業生が活躍しています。
では、早稲田大学と心理学には、どのような関係があるのでしょうか。
早稲田大学の心理学史、とくに黎明期から戦後初期にかけての発展を語るうえで欠かせない著名な心理学者がいます。松本亦太郎先生です。
松本先生は東京帝国大学(現在の東京大学)の哲学科に入学しています。ちなみに、大学の同期には夏目漱石がおり、漱石の短編小説『琴のそら音』に登場する心理学者・津田真方は、松本先生がモデルとされています。
東大卒業後は、アメリカの心理学者ジョージ・ラッドの協力を得てイェール大学に留学し、実験心理学を学ぶとともに助手も務めました。博士号を取得した後は、ドイツのライプツィヒ大学に留学し、科学的心理学の誕生に貢献したヴィルヘルム・ヴントの指導を受けています。
帰国後は恩師である元良勇次郎を支えながら、1903年に東京帝国大学に心理学実験室を開設しました。1913年には東京帝国大学教授となって心理学と倫理学を担当し、心理学講座を新設しています。さらに1927年には日本心理学会を創設して初代会長に就任し、早稲田大学においても心理学教室の礎を築きました。
波多野完治先生は、1928年に東京帝国大学文学部心理学科を卒業した後、法政大学、お茶の水女子大学、早稲田大学で教授を歴任されました。
主な研究分野は発達心理学や言語心理学で、ピアジェの著作の翻訳にも取り組んでいます。また、『十五少年漂流記』などの児童文学の翻訳も手がけています。
南博先生は、父親が高名な医師・医学博士であり医学部教授でもあったことから、当初は医師を志していました。しかし東京帝国大学医学部を中退し、1940年に京都帝国大学文学部哲学科を卒業しています。その後、心理学者・高木貞二先生の推薦を受けてアメリカのコーネル大学大学院に留学し、ダレンバックに師事して博士号を取得しました。
帰国後は、日本女子大学、一橋大学、早稲田大学などで教鞭をとりました。1950年に出版した『社会心理学入門』が毎日出版文化賞を受賞し、これを機に日本で社会心理学という学問が脚光を浴びるようになりました。1958年には、国立大学として初めて社会心理学の講座を一橋大学に設置しています。あわせて社会心理研究所、伝統芸術の会、映画と心理の会を設立し、のちにそれらを統合した日本心理センターを設立して所長を務めました。
その後も精力的に執筆を続け、1961年に出版した『記憶術――心理学が発見した20のルール』は、1日15分、15日間でマスターできる記憶法が評判を呼び、ベストセラーとなりました。さらに俳優座の養成所でも教鞭をとり、俳優の愛川欽也さんらを指導した経験もあります。
南先生は、アメリカで確立された社会心理学を日本に導入し、国民性から大衆文化まで、さまざまな社会現象の背景にある心理を解き明かすことで「日本人論ブーム」の一翼を担いました。伝統芸能や映画、テレビ番組の分野でも幅広く活躍し、英語の frustration(フラストレーション)に心理学の訳語として「欲求不満」を当てたのも南先生です。
このように、早稲田大学とゆかりのある心理学者の中には、日本の心理学の発展に大きく貢献した先生方がいらっしゃいます。
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