コラム

心理学・精神医学で活躍した女性たち 

2023.1.5

心理学・精神医学の分野では、多くの女性が活躍しています。 

一般的に心理カウンセラーというと、なんとなくですが、女性をイメージする方が多いかもしれません。
実際に大学院の修士課程において、臨床心理士コースや公認心理師コースに在籍している学生は女性の方が多い傾向にあります。
また、こころ検定も1級・2級・3級・4級を通じて、女性の受検者の方が多い傾向にあります。
では、心理学・精神医学の分野において、どんな女性たちが活躍をしてきたのでしょうか。 

ザビーナ・ニコライエヴナ・シュピールライン

ザビーナは1885年11月7生まれのロシア出身の精神分析家です。
ザビーナは1904年に統合失調症(当時の名称は精神分裂病)と診断され、自身が精神病院に入院するという経験をしています。
そして、当時この精神病院で医師として勤務していたカール・グスタフ・ユングと出会います。ここで、ザビーナがクライエント(患者)、ユングがカウンセラー(医者)という関係性になったわけですが、同時に2人は恋人同士の関係にもなってしまったということが分かっています。 

ザビーナは自身が発症した精神疾患と、それを治療した精神分析学に興味を持ち、退院後に勉強をして、スイスのチューリッヒ大学・医学部に入学し、1911年には自分が発症した統合失調症に関する論文を提出して医学部を卒業します。
しかし、この間もユングとの恋愛関係は続いており、2人は指導教官と学生という立場でした。
つまり、2人は恋人同士であり、学生と教授の関係でもあり、さらにはその前には医者と患者の関係性でもあったということになります。 

結局、ザビーナとユングの恋愛関係は破局をむかえてしまいます。
そして、ザビーナは医学部を卒業した年と同じ1911年に、オーストリアのウィーンでジグムント・フロイト出会います。
フロイトはユングの師匠に当たる人物であることから、ザビーナはフロイトの孫弟子的な立場になります。
そして、ザビーナはユングとの恋愛体験を精神分析学的な観点から研究し『生成の原因としての破壊』という論文を執筆しています。 

このようなフロイト・ユング・ザビーナという3人の精神分析の専門家の関係性は後々、明らかになったものですが、非常に大きな衝撃を与えるものでした。
そのため、この3人を主人公として『危険なメソッド』という映画も作られています。 

メアリー・エインズワース

エインズワースは1913年12月1日 生まれのアメリカの発達心理学者です。
エインズワースは16歳でカナダのトロント大学で授業を受け始めるという非常に優秀な学生でした。
1935年に大学で心理学の学士号を取得し、そのままトロント大学で心理学の博士号を取得するために学業を継続することを決めました。
その後、第二次世界大戦中には、カナダ軍女性部隊で臨床評価や人事評価テストの管理などを行っていました。
そして、1975年にバージニア大学で教授職に就き、後述する発達心理学に関する研究を本格的にスタートさせました。その研究成果から、いくつかの学術賞を受賞し、エインズワースは1992年にアメリカ学士院の会員にも選出されています。 

エインズワースは生後12~18ヶ月の子どもを対象として、愛着の安定性を評価するストレンジ・シチュエーション法という実験手法を考案しました。
このストレンジ・シチュエーション法を実施している間、赤ちゃんの行動を観察窓から観察し、どのような反応・行動が起きるのかを検討しました。
そして、観察された行動から、人間の赤ちゃんの愛着には、安定愛着型、不安定愛着型・回避型、不安定愛着型・両価型、無秩序型の4つのタイプがあることが判明しました。 

エインズワースはアメリカの子どもを対象にストレンジ・シチュエーション法による実験を行った後、アフリカのウガンダでも同様の実験を行い、愛着のタイプにおける社会・文化の影響について検討しています。 


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