コラム

日本の有名な心理学者たち Part6

2020.4.2

心理学者やメンタルへルスの専門家には、日本人にも多くの有名な先生方がいらっしゃいます。そんな日本を代表する先生方の一部を御紹介させていただきたいと思います。

森田 正馬 先生

森田正馬先生は高知県に生まれ、1902年に東京帝国大学(現在の東京大学)の医学部を卒業後に、大学の副手(助手)に就任されています。

1903年には、東京慈恵会医院専門学校(現在の東京慈恵医科大学)の精神医学の講座を担当し、1937年まで同校に在職されています。

また、森田先生は子どもの頃から宗教や奇術、奇跡、迷信、呪詛、占いなどにも興味・関心があり、自身が神経衰弱症状に悩んだこともあったとされています。

一時期は自暴自棄になってしまい「死んでもかまわない」と無茶な勉強をしたところ、逆に神経衰弱の症状が治ってしまったというエピソードがあります。

この経験が研究活動にも活かされ、日本独自の心理療法である森田療法の開発に繋がっていったのです。

森田療法は、精神交互作用を生み出す「とらわれ」と「はからい」を脱し、自己実現に向かって進んでいくことで、神経症の治療・支援が可能になるのではないかという観点から、主に神経症の治療・支援において活用されています。

盛永 四郎 先生

盛永四郎先生は1931年に東京帝国大学(現在の東京大学)の文学部を卒業されています。

そして、1935年~1939年にはドイツのフランクフルト大学にて、ゲシュタルト心理学の研究者であるメッツガーの下で空間知覚の研究に従事しています。

帰国後、1949年~1964年には、千葉大学の教授を務められています。

盛永先生はゲシュタルト心理学を基礎に実験現象学的な知覚心理学の研究を実施されています。

特に錯視に関する研究では、ゲシュタルト学派の供覧実験のアプローチを超えて、外的刺激変数の組織的変化による条件分析を徹底して行い、錯視を規定するのは刺激そのものではなく、知覚者の捉えた「知覚構造」であるとして「盛永の矛盾」という現象を提示しています。

この理論の中で、知覚の理解には、知覚次元と関係系の観点が重要であることを示しています。

また、盛永先生は脳損傷者の知覚に関して、日本における先駆的な研究も実施されています。

矢田部 達郎 先生

矢田部達郎先生は東京に生まれで、1918年に東京帝国大学(東京大学)の文学部を卒業しています。

その後、1920年~1924年にはフランスとドイツに留学し、フランスのソルボンヌで研究活動に長く従事されています。

帰国後、九州帝国大学(現在の九州大学)の助教授や、京都帝国大学(現在の京都大学)の教授、早稲田大学の教授などを歴任されています。

専門は思考心理学ですが、それを中心とした幅広い研究を実施し『思考心理学』(1948)や『心理学序説』(1950)などの多くの著作を残されています。

また、有名なパーソナリティ検査であるY-G性格検査の正式名称は「矢田部 = ギルフォード性格検査」であり、日本版の作成者は矢田部先生なのです。

横山 松三郎 先生

横山松三郎先生は17歳でアメリカに渡ると、コロラド大学やハーバード大学で心理学を学んだ後、クラーク大学に移ってからは、アメリカで心理学の学界組織化・運営に多大の功績を残し「ミスター・サイコロジー」とよばれたボーリングに師事し、感情の研究に従事し、博士号を取得しています。

帰国後、慶應義塾大学に心理学実験室を開設し、主として感情、感覚の研究を続けるとともに、厳密な実験的方法による心理学研究法に日本に根づかせることに貢献しています。

また、様々な心理学関連の学会長、編集主任などを歴任するなどを通して、日本心理学会など、いくつかの学会の発展に力を注いでいます。

これは師であるボーリングと同様に、研究活動だけではなく、学会の運営などにも力を注いでいたということです。

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